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白いオリンピック

今日は快晴で少し暑い。快晴なのはいいが、秋なのに……。

私は大のスポーツ好きである。ただ、頭だけでなく体までぼんやりしているらしく、子供の頃からひどい運動音痴。だから自分ではやらない。でも、テレビのスポーツ中継はよく見る。今年の北京オリンピックも仕事部屋でほとんど見た。おかげで仕事がちっとも進まなかった。

私が何故、かくもスポーツ好きになったのか。その原点は1972年の札幌オリンピックにあると思う。小学校の3年生の終わりくらいだった。

まず、オフィシャル・ソングがとびきりおしゃれだった。トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」。今聞いても素晴らしいバラードである。

私の通っていた小学校では、毎朝の通学時間に音楽を校庭に流していた。大阪万博の時は三波春夫の「こんにちわー、こんにちわー」という曲だったが、札幌オリンピックの間は「虹と雪のバラード」だった。日本で開催される初めての冬季オリンピックという事もあり、小学生たちのボルテージは最高潮である。

やがてオリンピックが始まった。

私は毎日中継を見ながら目を見張った。どの競技を見ても、必ず雪が映る。画面全体が白いのだ。その4年前はまだ小さかったので、テレビで見たのだろうけどオリンピックの記憶はあまりなかった。事実上、私の人生の中でこれが「オリンピック初体験」だった。

美しく白い世界の中で、様々な競技の選手たちが激闘を繰り広げる。だが、その世界はあくまでピュアで白い。

「この人たちは凄い……」

風景の美しさと相まって、3年生の私はそこにアスリートの凄さを見て感激したのだった。

ジャネット・リンというアメリカの選手がいた。フィギュア・スケート。顔だちがちょっと「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュースに似ている。

正にアイドルで、実力もあり、世界中が「彼女が優勝する」と信じていた。

だが……。

彼女はフリースタイルで転倒してしまったのだ。おそらくあの時、日本中でテレビを見ていた人たちが同時に「あっ!」と言ったと思う。私もそうだった。それでもジャネットはどうにか立て直し、笑いながら、でも眼尻に涙を浮かべながら演技を終えた。結果は銅メダルだった。

スピードスケート。これは小学生の男子の間でマネが流行った。普通、スターターの掛声は「レディー、ゴー!」、「オン・ユア・マーク!」だが、この時は違っていた。札幌オリンピックでは、現地のアイヌ語で「よーい、ドン!」という意味の言葉が採用されたのだ。

スターター「コイジャマー!(よーい、ドン!)」

「コイジャマー!」の掛声と同時に、当時の私の胴体くらいはあるフトモモの筋肉を引き締め、選手たちが疾走する。

学校の休み時間に、誰かが突然「コイジャマー!」と叫ぶ。そうすると、男子の多くがしゅっ、しゅっ、しゅっとスピードスケートのポーズで廊下を走っていくのが大ブームになった。

ジャンプ競技では、笠谷を始めとした日本人選手たちが金、銀、銅を独占し、「日の丸飛行隊」と呼ばれ、ヒーローになった。

だが……。

同じ頃、60年代後半から続いていた学生運動が暴走し始め、「連合赤軍」と名乗る人々が警察庁とギリギリの攻防戦を演じ、「浅間山荘事件」を起こしたりもした。白く美しい札幌オリンピックの裏側では、世間は騒然としていた。

それでもなお、3年生の私の脳裏に、「白い世界で激突する気高きアスリートたち」というイメージが強烈に焼きつき、この時、今なお続くスポーツ好きが生まれたらしい。

同じ年の夏、西ドイツのミュンヘンで夏のオリンピックが開催された。だが、アラブ系のテロリストたちが選手村に押し入り、イスラエルの選手を殺害するという大事件が起きた(この詳細は、最近のスピルバーグ監督の傑作映画「ミュンヘン」で詳しく描かれている)。

ミュンヘン・オリンピックでは日本の田口選手が平泳ぎで金メダルを取り、4年生になっていた私は「やったー!田口ーっ!」などと言い、無邪気にテレビの前で興奮していた。後の鈴木大地選手や北島康介選手に匹敵する快挙だった。

が……。

閉会式の中継を見ていると、スタジアムに掲げられた各国の旗が、イスラエル選手への哀悼の意味で「半旗」になっていた。

私の中で札幌は紛れもなく「白いオリンピック」だった。でも、ミュンヘンは「どことなく黒いオリンピック」になってしまった。

閉会式を見ながらポロポロと涙を流したのを覚えている。「オリンピックなのに、あってはならない事が起きてしまった」という事は、いかにぼんやりしていた小学生の私にも理解できた。

だからこそ、スポーツにはまってしまったのかもしれない。サッカーのワールド・カップもそうだし、ハンドボールの「中東の笛問題」もそうだし、スポーツは昔から国際政治のくだらないしがらみに影響されるのだ。

ある時はそれを乗り越え、ある時はそれを無視し、またある時はそれにあらがっていくアスリートたちがいるからこそ、スポーツの魅力は絶える事がない。

などと、快晴の午前中にぼんやりと考えている私。

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コメント

札幌五輪の年、学習発表会(いわゆる学芸会、でもクラス毎に教室でやってました)で日の丸飛行隊の再現をし、私はアナウンサー役でした。その頃からおしゃべりだったんでしょうねcoldsweats02

投稿: まな | 2008年10月16日 (木) 13時34分

またまたツボにはまるお話しですね。

「虹と雪のバラード(今でもフルコーラス歌えます)」
「ジャネットリン(銀盤の妖精そしてカルピス)」
「日の丸飛行隊(今年、青地清二さんが亡くなってしまいましたね)」

当時札幌に住んでいて、その熱気の片隅にいたせいか、思い入れが強いです(*^.^*)

投稿: hiro | 2008年10月16日 (木) 13時56分

へーっ!あの頃現地に住んでたんですか!そりゃあ、凄い。うらやましい!

投稿: パパ | 2008年10月16日 (木) 15時08分

まなさん、アナウンサー役って……。
なんかわかるような気がします(笑)。

投稿: パパ | 2008年10月16日 (木) 15時18分

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