速くて遅かった0系新幹線
本日快晴。気温もまずまず。だが、もうすぐ年末で何となく慌ただしい(もう既に年末かもしれないが)。
きのうの夕方のニュースで、「0系新幹線引退」の話題をやっていた。今月いっぱいで、あの丸っこい鼻先の0系が走らなくなるのだという(12月に何日間か、引退記念のイベントとして走るらしいが)。記念グッズが飛ぶように売れているとかで、私が改まって書かなくてもあちこちのブログにこの話題は溢れているだろう。
ただ、何となくさびしい気持ちもあるので、記憶をたぐってみる。
東京オリンピックに合わせて開業した「東海道新幹線」は、当時の世界的な鉄道技術の中では飛び抜けた先進性を持っていたと聞く。私が小さい頃も、子供用の新幹線の歌が流行った。
「びゅわーん、びゅわーん、走ーるー。青いひかりの超特急。時速250キロ、飛んでくようだな走るー」
という歌。「技術の先進性」はこの歌詞に端的に示されている。当時、250キロで走る列車など、世界のどこにもなかったのだ(実際の営業速度は、騒音の問題などがあってもう少し遅かったようだが)。
これまた小さな頃、何曜日かは忘れてしまったが、テレビで「特別機動捜査隊」というドラマをやっていた。モノクロのそのドラマのオープニングは、大井川鉄橋を爆走する新幹線だった。内容といえば別に新幹線とは関係ないのだが、小さい私は、その曜日は、「特別機動捜査隊」のオープニングの新幹線だけを見てから寝た。
それほど、0系新幹線の登場にはインパクトがあったし、また人気もあった。
だが……。
我が家はあまり旅行にはいかない方で、関西方面に知り合いや親戚が全くいなかったせいもあり、私はなかなか新幹線に乗れなかった。小学生の時に大阪で「万国博覧会」があって、「これは新幹線に乗れるチャンスなのではないか……」と思ったりもしたが、大阪まで往復して宿泊し、万博を見てとなるとかなりの出費で、行く事ができなかった。学校でも、実際に万博を見に行けた子は少なかった。
私が最初に0系新幹線に乗ったのは、それからだいぶ後の中学3年生の時だった。開業から実に十数年が経っていた。いかにも遅い私。
京都と奈良を巡る修学旅行である。
車両は全て貸し切りだった。当時は何しろ生徒数が多かったので、他のお客さんと一緒という訳にはいかなかったようだ。3年生の全クラスが、0系を丸ごと一便借り切って京都まで行くのである(もしかすると、他の学校の修学旅行生もいたかもしれない)。
東京駅で先生や友達と一緒に初めて乗り込んだ新幹線の車内は、何ともゴージャスに見えた。何しろ、在来線か普通の特急程度しか乗った事がないのだから。
友達のほとんどは、一度や二度は乗った経験があり、誰も驚かない。私は、何となく「初めて乗る」と言いそびれて、窓際の席に黙って座っていた。
ところが、発車してしばらくすると、今まで体験した事のないようなスピードがやってきた(今なら笑ってしまう。最近の様々な新幹線はもっと速い)。
私は大きな窓に張り付くようにして、矢のように流れていく外の景色を見つめた。さすがに声には出さなかったが、心の中では小さい頃に好きだった「びゅわーん、びゅわーん」という歌が鳴っている。実際に体験してみると本当に、「びゅわーん、びゅわーん」だったのだ。
友達「なあ、トランプやろうぜ。京都までまだ遠いし」
私「あー……俺、いいや」
友達「何で?」
私「景色、見たいからさ(実際は初新幹線が嬉しくてトランプどころではなかったのだが)」
友達「そんなの、面白いか?」
私「うん。結構ね……」
私はトランプの輪に入らず、京都までずっと窓に張り付いていた。ババ抜きか何かで、この初体験を邪魔されたくなかった。
「夢の高速超特急」が私を初めて運んでくれたのは、私の人生の中のかくも「遅い」時期だった。
その後何度か0系に乗ったが、いつ乗っても楽しかった。自然と、心の中に「びゅわーん、びゅわーん」という歌が響いてくる。修学旅行の時にはクローズになっていた食堂車にいき、子供の頃に憧れていた「東海道新幹線のカレーライス」も食べた。ちょっと割高ではあるのだが、東海道一帯の工業地帯がフルスピードで流れ去っていくのを眺めながら食べるカレーはおいしかった。
大人になってから用事があって広島に行った時の事。
帰りの新幹線が0系のだいぶ古い車両で、座席のひじ掛けや灰皿がやけに使い込まれたものだった。
やがて、東京駅が近づいてくると、車掌さんのアナウンスがあった。
「当車両は昭和39年の開業当時に作られたもので、本日が最終走行となります。皆さま、長年のご愛顧、まことにありがとうございました」
もうすぐ引退する0系たちも古いが(古くなったので引退する訳だが)、その時私がたまたま乗った車両はもっと古い。計算すると、開業当時から二十数年東海道を走っていた事になる。使い込まれたひじ掛けがそれを物語っていた。
東京駅のホームに到着すると、先頭車両の所に人だかりができていて、鉄道好きの人たちが記念写真を撮っていた。私はわざわざ駅まで行って写真を撮る趣味はないし、たまたま乗っただけだから、ホームに降りて車両を眺めただけである。
だが、もう走らなくなってしまった0系を見ていると、やっぱり「びゅわーん、びゅわーん」という歌が聞こえる気がした。そして、相手が無機質な乗り物であるにも関わらず、ああいう時は自然に「御苦労さま」と思えたりするものだ。
今回の引退で、0系は完全に姿を消すという。これから先は鉄道博物館のような所に行かないと見る事ができない。しかも、彼らはもう走る事はない。
それでもなお、私の心にはまだ「びゅわーん、びゅわーん」という歌が消えずに残っている。
あの歌を忘れない限り、彼らはずっと走っていてくれるような気がする私。
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コメント
新幹線にはじめて乗ったのは、やはり修学旅行の時でした。昭和50年の初夏「米原」までの乗車でした。
開業から11年が経過していました。
今にしてみれば、まだ11年しか…という思いがします。
その頃、次々と蒸気機関車が引退して、別れを惜しむニュースが流れていました。
それが今や、初代新幹線が引退とは…。0系…自分より若いのになぁ。
投稿: すなぽん | 2008年11月29日 (土) 11時08分
すなぽんさん、コメントありがとうございます。
私も0系より「若い」です(笑)。
投稿: パパ | 2008年11月29日 (土) 11時13分
びゅわーんびゅわーん、はっしっるー♪
青い光の超特急♪
時速250キロ、飛んでくようだな、はっしっるー♪
びゅわーんびゅわーんびゅわーん、
はしるーっ♪
私は万博行った組です。
新幹線については覚えてません……。
すみません……。
最近は青い小田急線に乗ってみたい私。
少し鉄子がかってきました。
投稿: つま | 2008年11月29日 (土) 11時43分
つまへ。
その程度では「鉄子がかっている」という状態には至っていません。
あの「びゅわーん」の歌(タイトルも覚えていない)は、誰が、どういう媒体のために作ったのでしょう?
妻は「新幹線関係」の歌を集めたソノシート(ポータブル・プレイヤーで聞く赤いペラペラのレコード)で聞いたと言っています。私もソノシートでしたが、出所が不明。
どなたかご存じの方いらっしゃいますか?
情報、お待ちしています。
投稿: パパ | 2008年11月29日 (土) 13時38分
タイトルは『走れ超特急』
作詞者 山中 恒 作曲者 湯浅譲二
ーだそうです。
こんなのもありました↓
http://www.youtube.com/watch?v=GcGlJF37hNU
投稿: すなぽん | 2008年11月29日 (土) 15時08分
何度もすみません。
もっとイイのがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=ThpuW4R12-k&feature=related
投稿: すなぽん | 2008年11月29日 (土) 15時10分
すなぽんさん、いつも情報ありがとうございます。
なるほど。今はその気になるとかなりの情報が集められるんですね。
投稿: パパ | 2008年11月29日 (土) 15時43分
私も万博に行きました。しかも3度。そのうち一度が新幹線。多分それが初新幹線でした。その後まさに数え切れないほど(ある年は一年に150回以上乗ってるはずです。)
投稿: まな | 2008年11月30日 (日) 10時59分
まなさん、コメントありがとうございます。
150回はすごいですね。
私はほんの数回です(笑)。
投稿: パパ | 2008年11月30日 (日) 13時15分